日本共産党京都府会議員・西脇いく子 福祉こそ原点に。西脇いく子
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2007年4月 日本共産党より府会議員として下京区より二回目の当選をはたす

現在、
府民生活厚生常任委員


家族 夫(54歳)、長男(21歳)、次男(大学1回生) 白猫ベル(6歳)

趣味 ピザ作り、読書

座右の銘 「自分だけが幸せでいることはありえない。みんなが幸せになれるときこそ本当の個人の幸せ・喜びもある」


1999年4月 日本共産党市会議員候補者として下京区より立候補
 現職の山中わたるさんと複数議席目指して善戦。
引き続き下京区で新婦人や下京高齢者福祉をよくする会や
生活と健康を守る会、下京母親連絡会などの皆さんとご一緒に
安心して住み続けられる下京区目指して地域で奮闘してきました。


1992年 あらぐさ保育園勤務
 調理師として10年間、子どもたちの命と健康を支える食事と
子どもが健やかに育つ保育環境づくりにがんばりました。
 福祉保育労働組合あらぐさ分会の分会長、福祉保育労働組合下南支部副支部長として、子ども達にとってよりよい保育園と仲間の労働条件の改善のため力を尽くしました。


1987年 岸和田障害者共同作業所勤務
 障害を持ちながらも明るくたくましく生きる仲間と、作業所の運営を支える職員集団の姿に、福祉労働者として成長させてもらった貴重なときでした。

 その後下京区へ。結婚し2人の息子の母親として、新日本婦人の会の活動にも参加。 
 アトピー性皮膚炎に苦しむ息子に、より安全安心な食べ物を食べさせたいと、新婦人の 産直運動にも参加し、生産者の方々と交流。
 息子のアトピーを早く治したいと、除去食、民間療法、病院も転々としました。その後、アレルギーの原因には、食品添加物、輸入食品、排気ガスなどの社会的な問題も大きくかかわることを改めて学びました。


特養ホームでの実習経験から、福祉の道に進むことを決意
 佛大3回生の福祉実習で、市内の特別養護老人ホームに二週間泊り込んだ経験がありました。
 重度の痴呆で寝たきりのお年寄りが、ひどい床ずれを起こしておられるのを目の当たりにし、介護の現場の厳しさと貧困さを感じ、この実習経験を通じて福祉こそが生涯かけるぺき道だと強く思いました。


20歳の春、日本共産党に入党する
 学友会活動やボランティア活動などに青春を燃やしている先輩たちの姿に憧れていました。日本共産党が戦前戦後、主権在民と平和を守るため命がけで貫いてきたことを知り、日本共産党に入党しました。

「自分だけが幸せでいることはありえない、みんなが幸せになれる時こそ本当の個人の幸せ・喜びもある」が座右の銘です。


18歳のとき、佛教大学社会福祉学科入学のため上洛
 学生食堂や購買部などの施設が貧困だった当時の佛大に、大学生協を設立する活動に参加しました。


              写真は、小学生時代の同級生と
                     (右端が私)


1957年6月12日、広島県内の兼業農家の長女として生まれる
 故郷の三和町は、井伏鱒二氏の「黒い雨」の主人公の疎開先のモデルとなったところです。
 被爆地「広島」のある県内ということもあり、小中高校生時代は学校あげて平和について考える教育や催しが多くあり,原爆の悲惨さや戦争の恐ろしさなどしっかりと刻まれていきました。
 人が人を殺し合い、憎しみ合うことに心を痛め、二度と絶対に戦争をしてほしくないと子ども心に思っていました。
 一方で、山や小川で近所の子どもたちと一緒に、暗くなるまで魚つかみや、探検ごっこなど思いっきり遊んでいました。動物が大好きで、父親が連れて帰ってきた七面鳥や山羊、鳩、うさぎ、子豚、犬、猫、十姉妹など一人で面倒をみていました。


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